大宥寺の歴代住職
御開山(大本山永平寺副貫首)福井天章大和尚

御開山福井天章大和尚は明治11年大阪市にて生まれ、曹洞宗大学林、早稲田大学にて行、学を修められ、大正14年頃に千葉県木更津の真如寺住職に就任されました。その後、曹洞宗の宗務所の重職を歴任した後、昭和14年に広い北海道での宗勢を拡大する為に、特別に選ばれて札幌市の中央寺に転住し北海道宗門の要となり、昭和29年には大本山永平寺副貫首に選任されました。宗学以外の見識も高く、昭和23年には北海道公安委員の委嘱も受られました。昭和40年に御遷化されました。世寿86歳でした。

二世住職 佐藤宥道大和尚

創立開山(二世)佐藤宥道大和尚は明治14年に山形県酒田で生まれました。青年期より正法宣揚の念篤く、明治37年、開拓が始まった北の大地である北海道に、篤き大志を抱いて江差町に上陸し、現在の檜山支庁の乙部町にあった吉祥寺の住職に任じられた。
その後、海伝いに北上し、浜益村に巡錫していた、大正8年に、同地の熱心な信者であった鹿島周蔵氏から土地の寄進を受け、大字群別村(現在の石狩市浜益区郡別)に曹洞宗説教所を建立します。その説教所は現在曹洞宗幌禅寺となっています。次に二世住職は札幌市内を巡りながら、定山渓温泉に入り、曹洞宗の定山渓出張所をお護りするのです。大正10年の事でした。
その後二世住職は定山渓説教所を後任に譲ります。そして同郷の入植者が多かった山鼻地区の屯田兵に心の安らぎを与え、心の安寧の場として曹洞宗山鼻説教所を設立しました。まだ藻岩山の裾野に広がる原野が切り拓かれたばかりの山鼻地区に、物故者の供養の為の大きな見守り地蔵が建立され、その隣に小さな笹小屋が建てられたのでした。時に大正12年、ここに大宥寺の歴史が始まったのです。
その後、地域檀信徒の絶大なる篤信を頂き、本堂、庫裡など伽藍が整備されていきます。やがて小さな説教所が、伽藍が整ったお寺となり、山鼻禅寺と称し、山鼻村並びに近隣地区にて、禅風の宣揚、正法の興隆に勤めるお寺となりました。
大宥寺の山号は「忍法山」、寺号は「大宥寺」です。
昭和28年に宗教法人法の施行に伴って寺院登録が行われ、大宥寺を公称することの認可を受けました。それまでのお寺の呼び名である「山鼻禅寺」はお寺の正面にある古い石柱に残っています。その時、御開山に、中央寺住職福井天章大和尚を拝請し、佐藤宥道大和尚は、二世住職に就任しました。
山鼻地区は、琴似地区に次いで、札幌市で二番目に歴史があり、屯田兵によって開発が進められた場所です。中心部にも近く、交通の便も良く、豊平川が流れ、藻岩山もあり、中島公園もあり、緑豊かな中で生活出来る住宅地として札幌市内で最も人口が多い地域の一つです。その山鼻地区の発展と共に歩んできた大宥寺。それを見守ってきた二世住職は昭和36年12月に世寿82歳で遷化されました。

三世住職 吉田圭道大和尚

吉田圭道大和尚は大正5年、札幌にて官吏の長男として生まれました。まだ幼少の頃に父と死別し、その後14歳の時に出家得度し、二世宥道大和尚の弟子となり、小学校卒業後、福井県の永建寺にて修行し、曹洞宗の駒澤大学で禅学を修め、帰山しました。
終戦後、札幌市の龍松寺の池田虎雄大和尚の知遇を得て、長く池田大和尚の補佐として日夜教化活動に精進された為、三世住職に就任しました。
当時の札幌市内仏教界各宗派が、あまり交流もない事を憂いた三世住職は、各宗派の仲を取り持ち、仏教寺院をまとめ、札幌仏教連合会の礎となります。長く札幌仏教連合会の事務局長を務め、会長代行を務めました。更に北海道寺院福祉協議会協会長、札幌仏教奉賛会事務局長、札幌仏教放送協力会事務局長を歴任し、札幌の仏教界が手を取り合って発展していけるよう、尽力しました。

札幌のみならず、三世住職の教化活動は北海道中におよび、特に松前の清涼寺の住職として、遠く松前と札幌を行き来しながら布教に邁進されました。
また海外布教に関心があり、ハワイの大福寺執事を任されており、ハワイに行く機会も多々ありました。
また三世住職は老朽化が激しかった大宥寺の伽藍を立て直す為に東奔西走します。本堂、納骨堂、庫裡等々の建物を全て更地にし、全く新しいお寺を建てようと一大決心し、その身命をかけて大事業に取り組みます。

三世住職の尽力により、昭和52(1977)年8月に完成した現在の建物は鉄筋コンクリート4階建てで、お寺としては当時珍しい外観でした。

しかし、多忙極まる毎日の中で、徐々に持病の心臓病が悪化し、昭和55年4月13日、世寿64歳にて遷化されました。
三世住職は美術、芸術に関して特に造詣が深く、多くの版画作品を残しています。

四世住職 吉田昌弘大和尚

吉田昌弘大和尚は昭和15年に小樽市に生まれ、学業、修行を経て昭和38年から昭和52年まで札幌市市役所に奉職しました。当時の住職であった三世住職の病状が悪化した事を機縁として、市役所を退職し、大宥寺の護持運営に専念します。その頃の大宥寺は改築大事業の真っ最中でしたが、三世住職を良く助け、一大伽藍の建立を成し遂げました。
昭和55年に三世住職が遷化してからは、四世住職に就任して大宥寺の護持に精進され、伽藍の増築、境内地整備等の数々の大事業を成し遂げました。
平成23(2011)年には大本山總持寺の顧問を拝命しました。

令和5年(2023)年2月3日世寿84才にて遷化しました。

遺偈(最後のお言葉)

詳細経歴

五世住職(現住職) 吉田知祐

現住職吉田知祐は、四世住職の次女として札幌市に生まれ、平成11(1999)年に出家得度。富山市の富山専門尼僧堂にて三年間修行し、帰山してからは四世住職とともに大宥寺に起居し、お寺を護ってきました。

令和5(2023)年4月に四世住職の後を継ぎ住職に就任。

檀家様の気持ちに寄り添ったご供養を日々心がけている。